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  • 執筆者の写真渡辺幸宏

視点を変えれば「歴史」はこうなる

blogの更新、滞っており、失礼いたします。 さて、「Wine Bar LA心VIN」にご来店されたお客さまから、カウンターとテーブルに置いてあるコースターの意味を聞かれることが多いです。 このコースターは、スペインの「アルハンブラ宮殿」で昨年購入してきたものです(毎日消毒させていただいております)。 宮殿を完成させた当時のイスラム支配の歴史において、「アラベスク文様」はイスラム教スンニ派の人物描写を禁止された戒律から、ピタゴラス思想、ヘルメス文書を体現化した極めて意味深い文様だと私は考えています。


アルハンブラ宮殿にて撮影

カウンターに置かれたコースター

「世界史」の教科書では学ぶことができない真の歴史を探ることは、実は「宗教史」を紐解いていくと意外な結論に至ることにもなります。 「中世の西欧は暗黒時代」と呼ばれることがあります。 しかしながら、それは歴史をキリスト教の側から眺めた一風景であり、イスラムの史実を紐解いていくと、その後の西欧のルネサンスが萌芽していくための重要な「知の再発見」の時代でもありました。

西暦830年、ウマイア朝をクーデターで倒したアッパース朝のカリフ・マアムーンが、国家的事業として「知恵の家」(バイト・アル=ヒクマ)を作りました。その「知恵の家」では、シリア人学者を招聘し、シリア語で書かれた「ギリシャ文献」(数多くの哲学書やヘルメス文書も含まれていたのでは)をアラビア語に翻訳する作業が行われました。 さらに980年以降、イブン・スイーナーというイスラム世界では伝説的な学者が、アリストテレスと新プラトン主義を結びつけました。12世紀半ばに、ヨーロッパでイブン・スイーナーの著書の翻訳(アラビア語からラテン語へ)が進められる事業へと繋がり、さらに13世紀にクレモナのジェラルドによって、その教えは世界に広まり、西欧でいうところの「スコラ哲学」の誕生に影響を与えていくことになりました。 すなわち、カトリックという宗教が「焚書」としていたギリシャ哲学や錬金術に関する文献は、イスラムの人々によって、シリア語→アラビア語→ラテン語へと翻訳され、それらの文献がいかに当時の人々にとっては新鮮な書物でありつつ、学ぶべき学術的価値のあるものという認識へと変わっていったわけです。

なぜギリシャ哲学や錬金術の書物が焚書になるのかという理由は、魂と身体という「二元論」を認めてしまうと、カトリックという宗教の否定につながってしまうからです。 しかも、すべてが論理的であり、宗教的曖昧さを排除した哲学的議論は、当時の既存宗教にとっては脅威以外の何物でもなかったはずだと、私は考えております。だからこそ、ローマ教皇の「宗教的権威」と当時の「武力」国家との結びつきは、強くならざるを得なかったはずです。 イスラムの他宗教や知らないことを学ぶことへの「寛容さ」が身近なところに形となっている。 ルネサンスがなければ現代はないとすれば、スペインに残されたイスラムの「知の結晶」の一つであるアラベスク文様を、私は大事に見つめていたいと思っている。 それが、冒頭の答えです。


また、小樽港は世界とつながり、世界に広がっている港です。 そのような素晴らしい環境にある小樽にあって、お店の中もクロアチアの友人(画家)、高校の同級生でありニューヨークで個展を開いた友人の絵を飾り、また、店の命名の由来となっているイタリア・アマルフィー海岸で6年前に撮影してきた羅針盤の産みの親と言われる「フラヴィオ・ジョイア」の銅像の写真、さらには店名のロゴとなっている「LA心VIN」はスペイン・ミハスで作ってもらったものと、店にいながらにして、「世界の中の小樽」であることが、いらっしゃった皆さまに感性で伝わるように配置させていただいております。


クロアチアの友人から寄贈された絵画

一昨年ニューヨークで個展を開いた高校の同級生から寄贈された絵画

上部ロゴはスペイン・ミハスで作成。下部写真は、イタリア・アマルフィにて羅針盤を発明したとされる「フラヴィオ・ジョイア」の銅像の写真。

スピリチュアルな世界に関心をお持ちの皆さまも、全国から多数お立ち寄りいただいており、ワインだけではなく、様々な会話の中から、私自身も日々勉強させていただいており、本当に感謝の日々です。

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